泣く子も黙る「民権ばあさん」!日本初の女性参政権を実現した民権家・楠瀬喜多 (2/6ページ)

Japaaan

夫に稽古をつけてもらう喜多(イメージ)。

男勝りな性格だったようで、夫から剣術と薙刀、そして鎖鎌も学んでかなりの腕前を誇ったそうですが、明治七1874年11月に実(享年50歳)が亡くなると、子供がおらず、養子もとっていなかったため、喜多が戸主として楠瀬家を継ぎました。

そんな中、明治十一1870年に高知県区会議員(※)の選挙が行われた時、喜多が投票に行くと、女性であることを理由に門前払いを喰らいます。

(※)当時、県には大区(県会議員に相当)と小区(市町村会議員に相当)があり、喜多は第八大区二小区に住んでいました。

当時の法律(府県会規則第14条)では「満20歳以上の『男子』で選挙区内に本籍があり、地租(現:固定資産税)5円以上を納税した者」にしか選挙権を認めておらず、これを聞いた喜多は大いに憤慨します。

権利と義務は一体であるはず。こちらがきちんと税金を納める『義務』を果たしているにもかかわらず、私が女性であるというだけで選挙に参加する『権利』が与えられない理不尽に対して、断固抗議する!」

それで何をしたかと言えば、これまできちんと納めていた税金を滞納。もちろん高知県から督促状が届きましたが、喜多は「代表なくして課税なし(意:参政権が認められないなら、納税もしない)」の信条を曲げることなく、税金の代わりに抗議文を提出。

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