泣く子も黙る「民権ばあさん」!日本初の女性参政権を実現した民権家・楠瀬喜多 (4/6ページ)

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泣く子も黙る「民権ばあさん」かく語りき

……しかし、その喜びも長くは続かず、明治十七1884年に区町村会法が改正。選挙規則の制定権を再び国家に取り上げられた事によって、女性参政権は廃止されてしまいます。

もしかしたら、喜多らの運動によって各地で広まりつつある女性参政権を、政府が危惧したのかも知れません。

古来、女性に参政権を認めない理由として「夫婦で意見が割れると家庭で不和の原因となるから」「女性は理論や公益より、感情や私欲を優先する傾向が強いから」などと言われて来ましたが、それは正しいと言えるのでしょうか。

家庭には夫婦だけでなく成人した息子や隠居した男性がいることもありますし、彼らと意見が割れれば、議論が過熱して不和の原因となること可能性は十分に考えられます。

そして、理論や公益よりも感情や私欲を優先する方は、残念ながら男女に関係なく存在することを皆さんもよくご存じでしょう。

こうした偏見が改められるにはまだまだ永い歳月を要することとなりますが、ともあれ喜多は自由民権運動に参加。板垣退助(いたがき たいすけ)らの結成した立志社(りっししゃ)の論客として阿波(現:徳島県)・讃岐(現:香川県)など四国各地を遊説します。

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