コロナの時代のMMA、長南亮は新しい時代の確立に踏み出している

| 日刊大衆
TTMのプロ練習。所属選手以外に青木真也、北岡悟、堀江圭功、上久保周哉らの顔も

バナー題字・イラスト/寺田克也

現役時代は、後にUFC王者になるアンデウソン・シウバから一本勝ちを収めるなど、国内外のメジャーイベントに参戦し、活躍した長南亮。引退後は、自ら開いたジムに集まる多くの選手をリングやケージに送り込んでいる。コロナ禍のなか、「闘う場」を提供するために主催興行の開催を発表。今だけではなく、未来を視野に入れる長南の想いを聞いた。 

 2003年9月15日、長南亮は桜井マッハ速人と対峙していた。山形から東京に出てきて型枠大工として生計を立てながら始めた総合格闘技。U-FILE CAMPーーいわゆる格闘プロレスUWFの流れを汲むジムに所属していた長南に対して、桜井は日本の格闘技界に真剣勝負の総合格闘技の根づかせた先駆け=修斗のミドル級(※当時。現ウェルター級)の頂点を究め、UFCではラスベガスのMGMグランドガーデンで世界ウェルター級王座挑戦経験もあった。

 ルールや階級の整備など今でいうMMAの競技化に関して、国内他団体はおろかUFCにも先んじていた修斗は、当時は選手の実力も日本では抜きんでていた。そして、少なからず修斗の選手、関係者も成り立ち、技術的にも「自分たちは他とは違う」という想いも持っていたはずだ。

「全国でアマチュアを広め、地方であれだけ修斗の看板を掲げている人たちがいるし、PRIDEに出ても勝っている日本人は修斗の選手ばかり。自分のなかでも修斗は一番だというのがありました」

 と、長南自身が修斗の存在の大きさを認めている。

「だから破壊しにいったんです。俺だってできるんだって見せたかった」。プロキャリア2年4カ月、戦績4勝3敗だった長南が蹴り上げで桜井をTKOしてから16年と8カ月が過ぎ、世界は新型コロナウィルス感染という強大かつ、未知の相手を敵にしている。

 まだCOVID-19が欧米に広まる前、中国・武漢とアジアの問題だった2月末、現時点で日本の格闘技界が世界とリンクしていた最後の時期に、長南は教え子である三浦彩佳のセコンドを務めるためにONEシンガポール大会を訪れていた。

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