名前負けなど恐れるな!「アジアの巨人」頭山満少年の豪気な改名エピソード

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名前負けなど恐れるな!「アジアの巨人」頭山満少年の豪気な改名エピソード

古来「名は体を表す」と言うように、ネーミングというものは商品の売れ行きや人物の印象など、よくも悪くもモノゴトに大きな影響を与えます。

だから少しでもよい名前をつけたいと思うのが親心ですが、何でも「過ぎたるは猶及ばざるが如し」で、あまりに立派過ぎる名前だと、気後れしてしまう「名前負け」が心配です。

とは言え、慎ましい名前なら万事うまくいくのかと言えば必ずしもそうではなく、結局は名前以上に当人の努力と心意気しだいでどうとでもなるもの。

頭山満の青年時代。Wikipediaより。

そこで今回は、幕末から昭和まで激動の時代を駆け抜け「アジアの巨人」と畏怖された頭山満(とうやま みつる)のエピソードを紹介したいと思います。

11歳の乙次郎、源為朝にあやかって「八郎」と改名

頭山満は江戸時代末期の安政2年(1855年)4月12日、福岡藩士・筒井亀策(つつい かめさく)の三男として生まれました。

幼名は乙次郎(おとじろう)、自由奔放を絵に描いたようなガキ大将で、度外れた振る舞いの数々に、早くも非凡さを現わしていたそうです。

そんな乙次郎が11歳となった慶応元年(1865年)、思い立って生家の庭にクスノキを植えます。

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