「結婚し、子どもを生み育てることが、人として正しい生き方である」。そういう規範がかつて存在しました。そして、今も中高年の既婚層中心に根強く残っています。
「正しい生き方?」
結婚しない生き方とは正しくないのでしょうか?
規範とは、人間が共同体に所属して円滑に生きていくための「掟」のようなものです。掟である以上、それは全員が守らなければならない。
その「目に見えない圧力」は相当なもので、1980年代までは、男女とも95%の人が結婚する皆婚社会でした。
その当時ならまだ分かるのですが、つい5年前、僕が、拙著「結婚しない男たち」を出版した2015年にも、書籍の紹介記事がヤフーコメントで4000件以上来て炎上したことがあります。
そのうちの半分が「結婚しない」ことへの反発でした。
印象的だったのが、「結婚もせず、子どもも産まない人間が自由に生きるのは構わないが、そういう輩の老後の面倒を自分たちの子どもが負担させられることが許せない」というものです。
「結婚しない人間というのは、社会のフリーライダーだから、そういう者たちは勝手に一人で生きて、勝手にくたばってくれ。世間に迷惑をかけるな」とでも言わんばかりです。
コメントをした本人は自分の発言を「正しい」ものとして疑っていませんが、それは、本当に「正しい」のでしょうか。
■「正しい」という概念に宿る攻撃性
そもそも「正しい」ってなんでしょうか?
「正しいか、正しくないか」
毎日のようにネット上では、「それ、正しくないと思います」「その考えは間違っている」などと誰かが誰かを糾弾する事例が後を絶ちません。
それに追随する人が増えて集団化すると、「正しくないあいつは懲らしめるべし」という危険な攻撃性を生みます。