1867年10月15日、徳川慶喜は政権を朝廷に返上する大政奉還を行った。
だが、その後も、慶喜は400万石を有する大大名として、公然たる政治執行力をもって君臨していた。
討幕派にとって、この状況を覆すためには、慶喜および旧幕府の武力討伐しかなかったが、その機会はなかなか訪れなかった。
しかし、1868年1月3日、旧幕府側の暴発から端を発したとされる鳥羽・伏見の戦いが勃発。江戸幕府は、その後の戊辰戦争を経て完全に歴史の舞台から姿を消していった。
旧幕府側の暴発を誘ったのは、江戸において前年年末に起きた薩摩藩邸焼打ち事件であった。そして、その黒幕は西郷隆盛だった。
第1回は、薩摩藩邸焼打ち事件が起きるにいたった、幕末京都における政治状況のうち、大政奉還から王政復古の大号令についてお話ししよう。
西郷を上機嫌にさせた薩摩藩邸焼打ち事件