討幕への口火に!黒幕・西郷隆盛が仕組んだ薩摩屋敷焼打ち事件とは【大政奉還〜王政復古の大号令編】 (2/7ページ)
(写真:Wikipedia)
1868(慶應4)年1月4日、うす汚れた風体の武士たちが、京都二本松の薩摩藩邸へ駆け込み、西郷隆盛に面会を求めた。
武士たちとは、薩摩藩陪臣の伊牟田尚平(いむたしょうへい)らだった。彼らは、年末の江戸で薩摩藩邸を幕府に焼打ちされ、品川沖から薩摩藩軍艦で大坂に脱出してきたのだ。
そんな伊牟田たちに、西郷はことのほか上機嫌に対応した。
諸君らの働きがあってこそ、この度の戦は開戦できたのだ。愉快、愉快!
戦とは、この前日に勃発した鳥羽伏見の戦いである。そして、西郷がいう諸君らの働きこそが「薩摩藩邸焼打ち事件」だった。
鳥羽伏見の戦いを誘発し、討幕への口火になったとされる「薩摩藩邸焼打ち事件」。武力討幕のために西郷隆盛が仕組んだといわれる事件が起きるその前夜について、先ずは触れていこう。
討幕の密勅と大政奉還
1867(慶應3)年10月14日、江戸幕府が突然、260年の歴史に幕を閉じた。