討幕への口火に!黒幕・西郷隆盛が仕組んだ薩摩屋敷焼打ち事件とは【大政奉還〜王政復古の大号令編】 (4/7ページ)
しかし、なぜ「討幕の密勅」はいとも簡単に取り消されたのか。それは、勅命とは名ばかりの全くの偽物であったからである。
正式な朝議どころか、明治天皇の許しも得ず、岩倉が主導して薩摩・長州に勝手に与えた偽勅であったのだ。
岩倉の行為は、廷臣という立場からは決して許されるものではなかった。そして、その裏には、目的のためには手段を選ばないという、討幕派の姿勢が見えていた。
維新政府の焦りが王政復古の大号令につながった 新政権の首班の座に。慶喜が描いた青写真
イギリスの議会制度導入を画策した徳川慶喜。(写真:Wikipedia)
「大政奉還」の前日(10月13日)、徳川慶喜は密かに二条城に幕臣で側近の西周(にしあまね)を呼び寄せた。
