明治21年(1888年)、伊藤博文(いとう ひろぶみ)の後を継いで第2代内閣総理大臣となった黒田清隆(くろだ きよたか)。
薩摩藩を代表する志士の一人として幕末維新に大功を立て、明治政府でも外交分野や北海道の開拓など大いに活躍しましたが……。
「酒さえ呑まなきゃ、いい人なんだけどねぇ……」
黒田はとかく酒乱のケがひどく、ひとたび酔っ払うともう手がつけられない暴れぶりだったそうです。
今回はそんな一例、妻に手を上げてしまったエピソードを紹介したいと思います。
酔っ払った勢いで妻を斬殺時は明治11年(1878年)3月28日。
「お許しを……どうか、お許し下さいませ!」
「黙れ、この不届きな売女(ばいた)めが……っ!」
いつものように酔っ払った黒田が「出迎えが遅い」「態度が悪い」だの何だと言いがかりをつけ、勢い余って妻の清(きよ)を斬り殺してしまいます。