酔っ払って妻を斬殺するも隠ぺい工作…第2代内閣総理大臣・黒田清隆の酒乱エピソード (2/5ページ)
清は嘉永7年(1854年)に旗本・中山勝重(なかやま かつしげ)の娘として誕生、明治2年(1869年)に16歳で黒田家へ嫁ぎました。
新婚当初は夫婦仲も円満で一男一女に恵まれますが、いずれも幼くして亡くなってしまい、清の妹である百子(ももこ)を養女として迎えます。
「健康な子供も産めないような女など、ロクなモノではない!」
当時の刑法である「新律綱領(しんりつこうりょう)」では、夫が妻のほかに妾(めかけ。愛人)を囲うことを許していた一方、妻が不倫した場合は夫が自由に処罰して≒殺してよいことになっていました。
ちなみに、妻が夫を殴った場合は鞭打ち百回の刑罰が科せられた一方、夫が妻を殴ることについては何の罪にも問われなかったと言います。
(現代では到底考えられない男尊女卑思想ですが、当時はそうした価値観が蔓延していたのでした)
「どうだ……思い知ったか!」
とは言うものの、いくら「不倫をした」事にしたとしても、現職の閣僚が妻を斬り殺してしまうのは流石に外聞が悪すぎです。