多くの宗教が禁欲を説く中、欲望を肯定する密教とその経典「理趣経」

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多くの宗教が禁欲を説く中、欲望を肯定する密教とその経典「理趣経」

密教は他の仏教とは色合いが異なる。炎の燃えさかる祭壇を前に、怪しげな印を結び、奇怪な呪文(真言)を唱え、願望成就を祈祷する。その教えも、禁欲や無我を説くような他の宗派には無いものがある。生命を賛美し、欲望、特に性欲を肯定する哲学である。

■真言宗の経典「理趣経」は性欲を肯定する

真言宗の根本経典は「金剛頂経」と「大日経」である。真言密教の教理が説かれている重要な経典だが、勤行、葬儀、法事、仏事などで読経をされることはほとんどない。こうした場面において真言宗で最も読まれ、檀信徒に親しまれている経典は「理趣経(りしゅきょう)」(大楽金剛不空真実三摩耶経)である。しかし檀信徒にはお経の意味などわからないのが普通だろう。寺側も積極的にこの経典の意味を伝えようとはしない。理趣経は欲望、中でも性欲を肯定する教えを説いたものだからである。


■「理趣経」では性欲を賛美する「十七清浄句」が記されている

理趣経のテーマは“煩悩即菩提”という。菩提とは菩提心、覚りを欲する心。あらゆる煩悩、つまり欲望は本来清浄なものであり、この菩提心の現れであると説く。数ある欲望の中でも性欲は特に重視され、第1章にあたる初段では男女の合一による覚りへの道が示されている。冒頭でいきなり「妙適清浄の句、是れ菩薩位なり」と説かれる。妙適とはオルガスムス、エクスタシーのことである。性欲の快楽はそのまま菩薩の境地であるとの意味である。さらに「欲箭清浄句、是れ菩薩位なり」「触清浄句、是菩薩位なり」と続く。欲箭は欲望の矢、快楽を得ようとする欲望。触は男女が抱き合う行為を指す。以降17にのぼり性欲を賛美する教えが展開される。これを「十七清浄句」という。

■欲望を肯定せずに人間社会は成り立たない

仏教に限らず宗教は基本的に禁欲を説く。世俗の誘惑を断ち切り神(仏)の世界を目指すものである。しかし密教は欲望を肯定した。宗教が禁欲を説くのは当然だと考えがちだが、性欲が無ければ人間は子孫を残せず滅んでしまう。性欲に代表される欲望はそれ自体は動物としての基本である。欲望は生命活動そのものだろう。欲望があるから文化・文明が発達した。無我の境地というが、何の雑念も無い木石になってそれが人間といえるだろうか。

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