敗戦責任・援助資金の横領?
【前編】では、長坂光堅という人の経歴や実績について説明しました。そんな彼の、現代に語り継がれる「悪評」とその真偽について見ていきましょう。
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歴史書で捏造された冤罪。武田家の重臣・長坂光堅は本当に極悪人だったのか?【前編】まずは天正3年(1575年)の長篠の戦いについての悪評です。ご存じ、織田・徳川の連合軍と武田の軍勢による歴史的な戦闘ですが、武田氏の戦略・戦術を記した軍学書『甲陽軍鑑』によると、この時の武田方の惨敗の原因を作ったのが光堅だというのです。
長篠合戦図屏風(長浜市立長浜城歴史博物館蔵・1750頃~1850頃)(Wikipediaより)
それによると、彼は、武田方の宿老たちが「撤退」を進言したのに、逆に攻撃するように進言したそうです。
しかしこれについては、光堅にはアリバイがあります。