大河ドラマ「豊臣兄弟!」次回放送で描かれる本能寺の変によって、運命を大きく狂わされたのは、明智光秀や豊臣秀吉だけではありません。
織田信長の三男・織田信孝(結木滉星)もまた、この大事件を境に人生が一変した人物のひとりです。
信長の子として将来を期待され、四国討伐軍の総司令官にも任じられていた信孝。しかし、父・信長が本能寺で横死すると、その立場は一気に不安定なものとなっていきます。
『豊臣兄弟!』でも、今後描かれる可能性が高い信孝の悲劇。今回は予習も兼ねて、信長の息子でありながら秀吉に追い詰められていった織田信孝の生涯をたどってみましょう。
「むかしより 主をうつみの 野間なれば むくいをまてや はしば筑前」
これは、織田信長の三男・信孝の辞世の短歌とされるものです。
信孝は、1583年(天正11)5月7日、尾張国知多郡(現・愛知県知多郡美浜町)にある大御堂寺(おおみどうじ/通称:野間大坊)の一院・安養院の一室で自刃して果てます。26歳という若さでした。