【三沢光晴をめぐる証言vol.5】高山善廣インタビュー

| 日刊大衆
【三沢光晴をめぐる証言vol.5】高山善廣インタビュー

2代目タイガーマスク、全日本プロレス社長、プロレス四天王としての活躍、そしてプロレスリング・ノア旗揚げ。「天才」という名を欲しいままにしつつ、2009年6月13日におきた「リング上での死」という形で、ファンに衝撃を与えたままこの世を去った三沢光晴。
先日発売された「俺たちのプロレスvol.2(双葉社スーパームック)」では、彼と関係のあった10人のレスラーの証言を集め、プロレスラーとして、また男として、三沢がどんな人間だったのかに迫った。今回は、特別にその中から一部を抜粋して紹介したい。

「初めてシングルをやったときも、“食ってやる”っていう気持ちだけだった。だけど、噛み付いたら、俺の歯の方が折れる、みたいなね」

──髙山さんは以前、「三沢さんから受けた影響は凄く大きい」って言われてましたよね?

髙山 そうだね。影響は大きいよ。

──それは全日本プロレス時代からですか?

髙山 うん。俺は最初、(ジャイアント)馬場さんに呼ばれて全日本に上がり始めたんで、馬場さんと俺とのやり取りしかなかったんだけど。馬場さんが亡くなってから三沢さんが社長になって。その後も、普通にフリーとして全日本に上がり続けるつもりだったんだけど、三沢さんが「それじゃ不安だろうから入団したほうがいいんじゃない?」って言ってくれて。それで入団したんだよ。

──もともとフリー参戦だったのが、三沢さんの一言で全日本所属レスラーになった、と。

髙山 あのときは単純にうれしかったね。フリーでもべつに不安とかはなかったけど、ちゃんと俺のことを考えてくれていた人がいたっていうことがうれしかった。

──新社長が髙山さんの立場に立って考えてくれたわけですもんね。それまで三沢さんっていうのはリング上ではエースでしたけど、全日本内部ではどんな立場だったんですか?

髙山 やっぱり現場のトップだったよ。馬場さんは別格だったから、馬場さんが天皇陛下だとしたら、三沢さんは総理大臣、ホントそんな感じだった。

──なるほど(笑)。

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