失敗しないお城造り! そのコツとは? (2/4ページ)

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■小田原の北条氏に対抗した扇谷上杉氏! 「深大寺城」は意味がなかった!

東京の調布市に深大寺城跡があります。1537年(天文6年)に河越城(川越城)を本拠としていた扇谷上杉氏は、川越から約30km南の深大寺の古城を新たに大改修し城を造り、北条氏(後北条氏)の脅威に備えました。しかし、北条氏は深大寺城には見向きせずに河越城を攻め、河越城は落城します。

深大寺城は、軍事的にあまり意味のない位置に造られた城だったといえるでしょう。天文6年に大改修された深大寺城だったのですが、数カ月間のライフでした。これは「失敗築城」に見えます。

■上杉景勝が造った城も観察しよう! 「神指城(こうざし)」は途中放棄された!

関ヶ原合戦の前に、上杉景勝は本城の会津鶴ヶ城から4-5km北西の神指に新たに本城を造ろうとします。徳川家康は、この城造りや領内の道路造りを「豊臣家に対する謀反」として上杉攻めを開始します。

軍事的危機に、神指城造りは途中で放棄され、上杉家は家康との対陣状態になります。そして関ヶ原本戦の後、和平交渉で4分の1の領地しかない米沢移封を受け入れます。神指城は未完成でしたし、上杉家の財産である領地を守ることはできませんでした。

「上杉景勝は無駄な城造りを行った」と評価されることが多いです。

——なるほど。城と一口にいっても、その役割はさまざまでその使命を果たせなかったものもあるのですね。

藤井先生 そうですね。このような例を見てくると、

●築城目的を果たせなかったら失敗築城なのだ

と考えることもできます。

——例に挙がった3例から得られる教訓はあるのでしょうか。失敗の事例研究になると思うのですが。

藤井先生 「失敗しない築城」を行うためには、築城目的を明確にして、十分な準備の後に行うことが重要でしょう。それぞれの城について考えてみましょう。

■新府城から学ぶ!

新府城を観察すると、城としての防御性に「欠陥」があったように見えません。武田領に対する「司令塔」の位置としても間違っていません。
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