【世界の功績者から学ぶ・前編】「シャングリラ」を夢想する日本人 (3/4ページ)
そういう理想を本気で信じていた人が、2000年代半ばにたくさんいたことを筆者ははっきり覚えている。
だからこそ、遥か彼方のケニア人女性が“Mottainai運動”を始めたことは、日本人にとって衝撃だった。
世界一の環境先進国であるはずの北欧三国ではなく、我々の国日本が“見習うべき環境先進国”と紹介されたその事実に。
さらに2007年、フィンランドでヨケラ中高等学校乱射事件が発生すると、北欧三国は日本人が最も警戒感を示す“銃規制の緩い国々”であるということが知られるようになった。
緑の木々に恵まれた白夜の“シャングリラ”は、アメリカと同様国内に氾濫する銃の規制問題に悩まされているのだ。
この辺りから日本人は、“理想化”という姿勢を改め始めるようになる。
■ マララが教えてくれたこと
「世界の常識は日本の非常識」という言葉がある。
確かに世界的な流行になっている事柄が、日本では殆ど知られていないということも多々発生する。
ネルソン・マンデラが収監されていた時代の南アフリカは、それでも国外からのアパルトヘイト廃止運動の圧力に囲まれていた。
だが日本人だけは「アパルトヘイトって何?」という態度で、当時の南アフリカと巨額の貿易を続けていた。これが国連で非難されたこともある。
だが、パキスタンのマララ・ユスフザイという少女のことは日本でも大きな話題になった。
マララはごく普通の女学生である。もし先進国に生まれていれば、単に“頭のいい女の子”として平和に暮らしていただろう。
しかし、彼女の生まれ育った地域は平和ではなかった。マララの自宅の外では、「女は文盲で構わない」という人間がカラシニコフ銃を持ってうろついていた。
現に彼女の母親は字の読み書きができない。そんな環境下で幼い頃からシャーロック・ホームズなどを読み、歴史書にも親しんでいたマララは“奇跡的な少女”と言う他ない。
日本人を含めた世界の人々は、マララの言葉の一字一句に問題解決のためのヒントを求めた。