【世界で最も素敵な瞬間】北のウォール街「小樽」が今に伝える、日本近代化の歴史が輝く瞬間 (2/6ページ)

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・転換点となった「開拓使10年計画」
北海道の大きな転換点明治4年(1871年)には、のちに内閣総理大臣となる黒田清隆が立案した「開拓使10年計画」が決定されます。

黒田清隆によってもたらされた潤沢な予算を使って、39の各種官営工場の設立、幌内炭山の開発、その石炭輸送のための鉄道の建設が始まります。その鉄道こそ、小樽発展の基礎となったものの1つ、北海道初(全国で3番目)の鉄道、官営幌内鉄道です。

また、アメリカから有識者を招くことにより様々な開発技術が生まれ、泥炭地の多かった札幌郊外はこの外国人からの灌漑技術(かんがいぎじゅつ)によって土地改良が行われ、農業や住宅地として爆発的な開発が行われました。

さらに麦をつかったビール、ビートをつかった製糖などの農産加工工場やそれらに付随した産業が勃興(ぼっこう)し、更なる人口増加が小樽港を経由して発生します。
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官営幌内鉄道は小樽市の手宮駅と、札幌・岩見沢を経由して、石炭の町三笠市の幌内駅を結ぶ全長100kmにも及ぶ鉄道として明治13年(1880年)に開業、以降、石炭だけでなく多種多様な産業商品が小樽市に集積され、日本国内だけでなく、海外へと運ばれていきました。

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