【世界で最も素敵な瞬間】北のウォール街「小樽」が今に伝える、日本近代化の歴史が輝く瞬間 (3/6ページ)
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世界で最も素敵な瞬間
もちろん札幌を初めとする都市部の爆発的な開発に伴う資材運搬も小樽を通して、全道へと展開されたのでした。
・小樽の繁栄を支えた3つの産業
小樽を繁栄へと導いた産業はすでにご紹介した石炭の他に、2つのものがあります。それが「ニシン漁」と「ロシアとの交易(こうえき)」でした。
江戸時代から明治、大正時代において、ニシンから作られる鰊粕(にしんかす)は綿花・菜種・藍など商品作物の肥料として、大きな利益を生む資源として活用されていました。
現在では化学肥料の普及によって使われていないので「魚から肥料」と聞くと、あまり想像できませんが、大量のニシンを釜で茹で上げて作る鰊粕(にしんかす)はまさに北海道の基幹産業の1つであり、その運搬や貯蔵のために、小樽の運河や倉庫街が急速に発達することになります。
また、日露戦争に勝利した日本は北緯50度線を境界に南樺太を領土として手に入れます。そのことにより、小樽は樺太と北海道果ては本州との中継点として莫大な富が集まる都市へと成長していきます。
・「北のウォール街」へ
また当時、石炭やニシン、豆類などの穀物は相場商品として資産運用の対象とされ、さらにロシアとの交易や海運業には為替や保険などの対応が発展に伴って求められることになります。
そういった金融としての機能の必要性の高まりから、小樽初の銀行支店である旧第四十四銀行小樽支店が明治9年(1878年)に開設されます。
北海道の爆発的な発展により、明治9年(1878年)を皮切りにたくさんの銀行が小樽へと進出し、小樽初の銀行支店開設から遅れること15年後の明治24年(1893年)とうとう日本銀行小樽派出所が開設されます。