【世界で最も素敵な瞬間】北のウォール街「小樽」が今に伝える、日本近代化の歴史が輝く瞬間 (4/6ページ)

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以降、第一次世界大戦後の大正11年(1922年)に旧三菱銀行小樽支店が開設されるまで、合計20以上の銀行が小樽の運河近くに軒を連ねます。

明治39年(1906年)に日本銀行小樽支店が開設されてから、昭和17年(1942年)に札幌支店が開設されるまでの36年間、北海道にある日本銀行の支店は小樽のみでした。このことからも小樽の繁栄の凄まじさが理解できます。

小樽はまさに、「北のウォール街」へと発展をとげるのです。

・小樽の衰退と現在
経済の繁栄を謳歌(おうか)していた小樽にまず影響を与えたのが、ニシンの不漁でした。さらに第二次世界大戦の敗戦により、樺太や満州を失った日本の影響は小樽の経済に色濃く陰を落とします。

それに加えてさらに追い打ちをかけたのがアメリカのジョン・ロックフェラーが産業として育てた石油によるエネルギー革命でした。

1970年代には北海道の石炭鉱山はほぼすべて閉山となり、小樽の街は急速に冷え込むことになります。都市銀行の支店も次々撤退し、日銀小樽支店も2002年(平成14)についに閉鎖となります。

しかしながら、小樽は、私たちにその繁栄と衰退の歴史を景色として見せてくれます。美しい運河に、トロッコ線路が敷かれている石造りの巨大な倉庫。それらはまさに、小樽の歴史そのものです。

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