【世界で最も素敵な瞬間】北のウォール街「小樽」が今に伝える、日本近代化の歴史が輝く瞬間 (1/6ページ)
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世界で最も素敵な瞬間
北海道・小樽市。運河の街として、そして寿司の街として、さらにウイスキーファンには余市観光の拠点として、多くの観光客が訪れる一大観光都市。
実はこの小樽市、日本の近代化の歴史が詰まった栄枯盛衰(えいこせいすい)を感じられる場所であることをご存知でしょうか。
戦前の小樽は北海道各地で採掘された石炭の最大の積出し港として、ニシン漁の最大の拠点として、そしてロシアを初めとする海外との国際貿易港として、札幌はおろか北海道で函館と1、2を争うほど繁栄していた一大都市でした。
・北海道の近代史のはじまり
北海道における近代史は開拓使が明治2年(1869年)に置かれたことから始まります。当時函館におかれていた開拓使は、北海道全体からみると南に偏りすぎているという理由から、北海道の中央部である札幌に本庁を設けることになります。
この時に活躍したのが現在の小樽市銭函にある港でした。この場所から荷揚げされた資材によって札幌の建設がすすみ、開拓史設置から2年後の明治4年(1871年)5月、開拓使庁は札幌に移ることになります。
実は当時は、中央政府の財政基盤は弱く、北海道の全域を統治する余力はありませんでした。そのため諸藩や団体・個人に呼びかけて北海道を分領することで開拓を推進していました。この制度は開拓使庁が札幌に移った年に廃止されます。