ジーコ、ピクシー、ディアス……超大物揃いのJリーグ最強助っ人8選 (1/3ページ)

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1993年の『Jリーグ』の発足からすでに22年。日本でのサッカー人気はすっかり定着した感がありますね。この22年の間に、多くの外国人サッカー選手が日本のJリーグでプレーしました。今回は、その外国人助っ人の中で「最強」といわれる選手をピックアップしてみました。

●ジーコ Jリーグをけん引した「白いペレ」!

⇒『鹿島アントラーズ』

本名をアルトゥール・アントゥネス・コインブラといいますが「ジーコ」の方が通りがいいですね。「白いペレ」と称されることもある名プレーヤーで、ブラジル代表では72試合で52得点を挙げる大活躍をしています。

1991年に『鹿島アントラーズ』の前身である『住友金属工業蹴球団』に入団。Jリーグが始まった1993年にはファーストステージ優勝に大きく貢献しましたが、1994年のファーストステージで退団。1995年には同チームのテクニカル・アドバイザー、2002年には日本代表監督に就任しています。

●ストイコビッチ ピッチ上の妖精!

⇒『名古屋グランパスエイト』

『レッドスター・ベオグラード』では2度の優勝、『オリンピック・マルセイユ』ではUEFAチャンピオンズリーグ優勝を経験したドラガン・ストイコビッチは、1994年に『名古屋グランパスエイト』に入団。2001年の東京ヴェルディ戦までプレーし、その華麗なドリブルとパスワークはファンを魅了しました。

その後、同チームの監督を2008年から2013年まで務めました。親日家としても知られ、「アユの塩焼き」「納豆」「梅干し」などが好物だそうです。

●ディアス 「黄金の左足」でファンを魅了!

⇒『横浜マリノス』

アルゼンチン代表として活躍したラモン・ディアスは、1993年のJリーグ発足と同時に『横浜マリノス』(現横浜F・マリノス)に入団。1995年までプレーしました(1995年は6試合しか出場しないまま退団・現役引退)。

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