まるでボーボボ? 「鼻毛」で国を守った殿様がいたってほんと? (1/2ページ)

江戸時代初期、各地の大名たちは戦々恐々としていました。なぜなら、徳川幕府は些細なことでも疑わしければ、改易(かいえき)をおこなっては石高を減らし、さらには取り潰してしまうことも稀(まれ)ではなかったからです。
なかでも、加賀藩の前田家は、前政権である秀吉と深く関わっていたため、当然のように目を付けられていました。これを乗り切るため、前田家はさまざまな策を講じていったのです。
とくに3代目である前田利常は、鼻毛を伸ばしておバカを演じ、徳川幕府の目をあざむいては藩を守り抜いたのでした。
■利常がバカ殿になった理由
関ヶ原の戦いが始まる少し前、徳川家康に唯一対抗できる力を持っていた前田家初代当主・前田利家が亡くなり、長男の利長がその跡を継ぎました。すると、すかさず家康は利長の謀反(むほん)を言い立て、加賀征伐を企てます。これを収めるために、利長の母「まつ」を人質に差し出し、家康の孫である珠姫を前田家でめとる約束をしたのです。これによって、完全に前田は徳川の軍門に降り、関ヶ原でも徳川派として参戦することになったのでした。
この関ヶ原のあと、前田家へ所領が加増され、晴れて100万石の大名となります。とはいえ、まだまだ安心はできません。徳川の前田への警戒がゆるむことはなかったのです。
利長が亡くなると、年の離れた弟である利常が家督を相続します。するとまた、謀反の疑いをかけられてしまうのです。徳川二代将軍の秀忠が病床についたころ、利常は火災にあった金沢城の垣根の修理や、船舶の購入などをおこないました。それらが軍備の増強をしているのではないか、と目を付けられてしまったのです。すぐさま利常は否定するために江戸へ向かいましたが、当時の新将軍・家光に会うことはできませんでした。しかし、家老が老中に必死に弁明することで、なんとか疑いを晴らすことはできたのです。
このように、何かをするたびに疑われるようでは、らちが明きません。