男が惚れる真のスターはドラ1選手の影にいた! プロ野球「驚異の成り上がり伝説」 (2/4ページ)

日刊大衆



 今年、メジャーから出戻ったオリックスの中島裕之(33)。00年にドラフト5位で西武に指名されたが、彼もまた無名の選手だった。「兵庫県の伊丹北高という無名校にいた中島は、1番で投手というチームの大黒柱として活躍していました。その素質に目をつけた西武のスカウトは、野手で育てたいと考え、野球部の監督に“ショートの練習をさせてくれ”“右打ちを徹底してくれ”と、お願いしていたんです。当時から打者としての才能を見抜いていたんでしょう」(アマチュア野球担当記者)

 入団後は二軍で英才教育を受けると、主軸を任されるようになる。12年末にはメジャーに挑戦。思うような成績は残せなかったが、下位指名から驚異の成り上がりと言えよう。

 中島と同じく00年のドラフト5位でヤクルトに入団したのは畠山和洋(33)。今季は、同僚の山田哲人と熾烈な打点王争いを繰り広げた。専大北上高で甲子園にも出場した彼の評価は、当時から打撃面では高かったという。高校野球などアマチュア野球関連の著書が多い手束仁氏は、こう話す。「通算62本塁打で打撃の評価は高かったけど、守るところがなかったんですね。ただ、どこの球団も残っていたら欲しいという逸材ではあったと思います」

 ただ、畠山は二軍時代、サボり魔として有名だった。「パチンコはするわ、練習はしないわ、素行が悪くて仕方がなかった。それを更生したのが、二軍打撃コーチだった新井幸雄さん。スパルタ教育によって、長打力が磨かれて今の畠山があるんです」(ヤクルト担当記者)

 畠山のようにアマチュア時代、大砲候補として知られた存在だったのが、広島の新井貴浩(38)だ。広島工から駒澤大に進学し、4年時には打点王とベストナインを獲得。ところが、プロの評価は高くなかった。「当時は打撃にも穴があったんですね。広島が“地元だから獲っておこう”となってドラフト6位で、ようやく指名されたんです」(手束氏)

 低評価に反発するかのように1年目から長打力を見せつけ、05年には本塁打王を獲得。ベテランとなった今では、精神的な支柱となっている。

 上位指名されない理由は実力以外にも多々ある。
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