82歳筆者が考える、ある老人の自殺...悲劇は本当に防げなかった? (3/3ページ)

Jタウンネット

それは、今まで何らかの形で世の中に貢献して来た筈の自分が今や老い、逆に社会に負担を掛け始め、その上どこからも必要な存在として求められなくなったことに気付き、気落ちする一方、それをどうしても認めたくない自分が居るからだ。多かれ少なかれ、大方の老人は寂しさと惨めさに取り拉がれ、一方でどうしようも無い自分に苛立っているものだ。

そのことが、見苦しい程「突っ張ってみたり」、「直ぐキレたり」、「ひたすら殻を閉じ、他人の言葉には一切耳を貸さない、意固地な」老人を輩出させて居るに違いない。しかし、そこには個人差もあるので、一概には言えぬが、ほとんどの高齢者は、何らかのトラブルで追い詰められたときには、たとえ一時的に攻撃的あるいは意固地になったにせよ、最後には、自分一人でその責めを負えば足りる、という覚悟を決める可能性も高い。これは、或る意味で(少なくとも従来の)日本人の特性であるのかも知れない。

だからこそ、そのような老人に接して問題を解決しようという関係者には、その辺の事情に気配りして、その高齢者が追い詰められ、頑なになる前の段階で根気よく説得するような努力が求められる。それと同時に、同じような問題を抱えた高齢者同士が気軽に接し合い、意見交換できるような場が欲しい。そんな場所があれば、高齢者の心も若い頃の柔軟性を留めながら、サポートしようとする仲間や、行政や、その他関係者の言葉に心を開き、耳を傾けようとする余裕も出ようというものだ。

今のような経済低成長時代、高齢化時代には、どうしても孤立しがちな人々が気楽に出入りできる、そんな場の提供が急務であり、それを行政だけに任せるのでは無く、行政と共に、NPOや一般市民(つまり、隣近所のオッサン、オバさんやじいちゃん、ばあちゃん、子どもたち、また一見無縁と考えられる若者たちまで巻き込んで)準備することが肝要である。

誰しもが老いるし、誰でもが思いがけぬアクシデントに遭遇する可能性を有し、またこれから益々老々介護や独り暮らしの人々が増え、それに伴う深刻な悩みを抱える人達も増えるであろうから、そんな交流の場を提供し、育てゝ行くということは、決して他人事では無い。高齢者のみならず、今を満喫して生きている若者たちにとっても必ず役立つ時が来るに違いない。

buraijoh.jpg筆者:ぶらいおん(詩人、フリーライター)東京で生まれ育ち、青壮年を通じて暮らし、前期高齢者になって、父方ルーツ、万葉集ゆかりの当地へ居を移し、今は地域社会で細(ささ)やかに活動しながら、西方浄土に日々臨む後期高齢者、現在100歳を超える母を介護中。https://twitter.com/buraijoh
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