82歳筆者が考える、ある老人の自殺...悲劇は本当に防げなかった? (2/3ページ)
この件に限って述べても、いわゆる役所の縦割り弊害が明白である。裁判所も含めて、行政の各担当部署がもっと人々の現実生活を見据えて、弱者(手を差し延べるべき対象、あるいは助けを必要としている人々)を、連携して、血の通った人間として捉え、もう少し早めに動いてさえいれば、こんな悲劇に至らなかったのでは無いか?と思えてならない。
家賃の滞納が続く、という事実の裏には必ず何か理由があるはずである。このケースの場合は、死んだ斎藤さんが老齢で、きちょうめんで、また非常識な浪費家ではなかったことは、行政も把握していたわけであるから、滞納額が高額になるまで、単に機械的に督促する、というのが先ず、杓子定規すぎる。滞納が続くなら、その理由と原因を斎藤さんの立場に立って考えてみるのが第一であろう。
更に、裁判の陳述書でも斎藤さんは「一括納入して明け渡せということは私にしては死ねということと同じです。生活保護より少ない年金で今となっては一括納入は到底できません」と明白に述べているのだから、その間の事情を原告である市は当然知っていたことになる。この経過中の対処こそ重要なのであって、市が裁判に勝訴したから、といって一体何になるのか?と問いたい。結局、一人の市民を死に追いやるだけの意味しか無かったわけだし、筆者のみならず、多少想像力のある読者なら、そんなことは自明の理であろう。
斎藤さんにしても、こんな判決が出た後では、『二度と市役所を信用することができなかった』のは、当然と思われる。
もっと早い段階で、生活保護のセイフティネットを機能させるべきだった、ということは間違いない。
ただ、斎藤さんへの声掛けが、もっと早ければ良かった、と言っても、そのタイミングや、やり方にもポイントがある、と考えられる。
それは誰でも、経済的に、しかも、精神的にも極限まで追い詰められた、と感じたとき「聞く耳」を持たなくなるのは、むしろ当然と思われるからである。つまり、心に余裕が全く無くなれば、ひたすら殻を閉じ、自己防衛を図ることに専念する状態に陥るものだ。
特に高齢者は、(自分を引き合いに出すまでも無く)口や態度に出さなくても、どこかで何か自分を後ろめたく感じているものだ。