【真田丸と現代医学】真田昌幸の最期は「うつ病」の可能性アリ / 真田幸村の父にして稀代の名将を蝕んだ心の病 (2/6ページ)
親子・兄弟が敵味方に分かれて戦うことは武士の定めかもしれませんが、このとき昌幸の三男・四男も東軍についたのは、意外と知られてないのでは? 真田の豆知識ですのでお召し上がれ♪
・居酒屋トークで7時間ぐらいは話せるレベル
ともかく西軍の旗を掲げ、上田城にこもった昌幸・幸村は凄まじい活躍を見せました。3万5千の徳川本隊を引き連れ、中山道を通ってきた秀忠軍に手痛い一撃を与え、結果、関ヶ原への参戦を阻んだのです。その痛快劇たるやあまりに鮮やか過ぎて、居酒屋トークで7時間ぐらいは話せるレベルですが、詳細はドラマの楽しみにとっておきましょう。
・2人が切腹していれば!?
昌幸の悲惨な晩年はここからです。真田親子の奮闘むなしく関ヶ原の西軍は一日足らずで崩壊。敗北した真田昌幸・幸村親子もタダではすみませんでした。当然ながら“死罪”が申しつけられたワケで、もしも、この段階で2人が切腹していれば大河ドラマ『真田丸』も生まれなかったでしょう。
・高野山へ流罪
両者は、長男・信之と、その義父にして徳川四天王の一人・本多忠勝の必死の助命嘆願により命だけは救われ、まずは高野山へ流罪となります。このとき昌幸55歳、幸村は33歳。

・日中の寒暖差が激しい土地
その後、『幸村が嫁と暮らしたい』と願ったため、女人禁制の高野山から近所の九度山へお引越し。実は、高野山が極寒過ぎて生活するのが辛いから……という話も根強いですが、私が調べた結果、信州上田の気温とあんまり変わらないんですよね。これは困りました。が、それまでの「立派な住居」と、流配地の「粗末な家」では防寒設備が格段に違い、実際の寒さははるかに厳しいのではないでしょうか。高野山近辺では、日中の寒暖差が激しい土地であったことは確かなようですし。