【真田丸と現代医学】真田昌幸の最期は「うつ病」の可能性アリ / 真田幸村の父にして稀代の名将を蝕んだ心の病 (1/6ページ)

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【真田丸と現代医学】真田昌幸の最期は「うつ病」の可能性アリ / 真田幸村の父にして稀代の名将を蝕んだ心の病

こんにちは! 歴史好き女医の馬渕まりです。専門は代謝内科。脂質異常症や糖尿病などの生活習慣病が得意分野です。

真田昌幸・幸村親子が関が原の戦いで西軍につき、その後、九度山で幽閉生活を送っていたことは皆さんご存知でしょうか?

・表裏比興の者
九度山は、高野山の麓にある寒さ厳しい山奥の村で、晩年の昌幸は相当厳しい生活だったと伝わっております。良くも悪くも「表裏比興の者(ずる賢いやつ)」と警戒された智将の面影は皆無となって、最期は金の無心をしたり無気力な発言を繰り返したり、なんとも情けない姿だったなんて話も。

・真田昌幸の死因
これは一体、どうしたことでしょう……。極寒かつ侘びしい山中の生活は、人の健康・精神にどんな作用を及ぼすのでしょうか? 今回は、真田昌幸の死因について診察してみます。

・独立大名のポジションをゲット
幼い頃は武田信玄の小姓として気に入られ、昔から頭の良さを知られていた真田昌幸。勝頼の代になって武田家が滅亡すると上杉・徳川・北条の大国に囲まれ、ここから「表裏比興」の能力を発揮。周囲の状況に応じて手を組む相手をコロコロ変え、最終的には豊臣秀吉のお墨付きを得て、独立大名のポジション手に入れます。

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・関ヶ原の戦い
ここからは話をガツンと飛ばして、1600年(慶長5年)の7月へ。この年、徳川家康の呼びかけで挙兵した「上杉景勝討伐」に真田一族も参加すると、その後、同家の運命は大きく分岐します。そうです、関ヶ原の戦いです。

・家族が敵味方に分かれて戦う
畿内で挙兵した石田三成の西軍に昌幸と幸村が味方すると、その一方で長男・信之は東軍の家康に付いたのです。

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