【真田丸と現代医学】真田昌幸の最期は「うつ病」の可能性アリ / 真田幸村の父にして稀代の名将を蝕んだ心の病 (3/6ページ)

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・和歌山藩より50石の扶持も支給
ちなみに真田幸村の奥さんは、豊臣政権の名将・大谷吉継の娘でした。幸村が、その婿として大きな期待を寄せられていたことがご理解できるでしょう。粗末とはいえ、九度山での生活には家臣が16名付き、和歌山藩より50石の扶持も支給、さらには長男・信之も仕送りしていたとのことです。お金はない。しかし本当にドン底でもない。それでもやっぱり金銭的には厳しかったようで、昌幸が信之に対して『お金ちょうだい』と送った手紙が残ってます。しかも10年で20通ほど。

・早く残りの20両も送ってほしい
お金に関してはこんな逸話も残されております。あるとき昌幸が『40両持ってこい』と手紙を送ったところ、4男が20両ほど持って九度山にやってきました。これに対して昌幸は「こちらは借金が多くて困っている。早く残りの20両も送ってほしい。無理だったら5両でも10両でもいいからね!」と答えており、えぇと、なんだか悲しくなってしまいますね。

・年老いて気力も枯れちゃった
実は昌幸は、最初の頃は信之を通して赦免運動を申し出ておりました。が、それが無理だと悟ると目に見えて元気が無くなり、かなり落ち込んでいった様子が想像されます。寒暖の差が激しいこともストレスの一因となりますしね。特に、晩年は病気がちだったようで、彼の手紙には『生活はあんまり変わりはないけれど、ただこの1年はすっかり年老いて気力も枯れちゃったよ』みたいな記述と共に、何度も『大草臥(おおくたびれ)』という言葉を繰り返しており、「鬱(うつ)」を思わせるような状態でした。

・徳川家を二度も翻弄した名将がうつ病に?
精神的にもタフであったであろう戦国武将と同病気はなかなか結びつきませんが、実は生涯有病率は3~16%あり、日本人では10~20人に1人はかかるありふれた病気なのです。そしてその症状はかなり多彩なため、簡潔にまとめるのは難しいのですが、『落ち込んだ気持ちがずっと続き日常生活を送ることに支障をきたす病気』と考えて下さい。

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