【現代医学】戦国時代に「DNA鑑定」があったらヤバイかったことが判明 / 殺されるかもしれない! (5/6ページ)

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・これはまさに目先の利益
というのも当時、成り上がり者の道三に反感を持つ人は少なくなかった。元の主君である土岐家に義理を感じる家臣もおり、彼等を手懐けるためには何かキッカケが欲しい。そこで義龍が頼芸の子かもしれん、ということにしておけば「道三は嫌いだが、義龍は土岐家の血を引くし……まぁ、我慢してやるか」となる、という。しかし、これはまさに目先の利益でした。道三はこの話に足元をすくわれ命を落としてしまうのです。

・殺されるかもしれない!
天文23年(1554年)、道三は家督を義龍へ譲り、頭を丸めて僧になります。そのまま大人しく念仏三昧していれば平和だったのですが、道三は弟たちを可愛がり、義龍の嫡廃を考え始めました。これを知った義龍はきっとこう思ったでしょう。「私は親父の実の子ではない…きっと道三は私を嫡廃するだろう。あのマムシのことだ、もしかしたら殺されるかもしれない!」。

・道三は63歳で生涯を閉じる
弘治元年(1555年)、義龍は弟達を殺し、道三に反旗を翻します。土岐氏の旧臣は皆義龍に味方し、弘治元年(1555年)4月、長良川の戦いで義龍に敗れた道三は63歳で生涯を閉じました。道三は、身体が大きく本が好きな義龍を「無能」と評価していましたが、長良川での采配を見て考えを改め、後悔したとも言います。

・やっぱりオレの子じゃん!
ほんと自業自得としか言いようがありませんが、その後、義龍存命の頃の斎藤家は、織田信長を相手にしても怯むことなく迎え撃って美濃を守っておりましたので、その才覚はマムシの血を引いていたかもしれません。もしも! 当時DNA鑑定があれば、美濃をあらかた平定した後に鑑定を行い、「やっぱりオレの子じゃん!」という具合に斎藤家は堅強となり、織田家に滅ぼされるどころか逆に尾張へ侵攻していたなんてことも……。歴史にIF(もしも)は禁物なれど、こういう妄想ができるからこそ面白いですよね。

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