82歳筆者が考える、「保育園開設」への反対論...同じ「高齢者」でも、戦前生まれ・戦後生まれの感覚は違う (2/5ページ)

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評論家 内橋克人氏は著書「もうひとつの日本は可能だ」の中で、「公と私-二つの人生」という欄中、『...藤原審爾(作家...筆者注)の生涯の愛の事業は「育心」だった。「人は二つの事業の中の存在である。二つの事業が、一つの生活の中で果たし得る社会」を渇望した。世のためになるよう生きる、自らをよりよく育てる、二つの分裂を「必然」とせぬための防波堤を築きつづけた。...』と記す。

これを我田引水的に解釈すれば、人は社会的な動物故、一人では生きて行けない。従って、社会と向き合い協調し、社会のために何らかの形で寄与して行くことを求められる。にも拘わらず、自らの日常生活あるいは環境等だけは、エゴイスティックに確保し続けよう、とする本能がある。しかしながら、この二律背反的命題を如何に両立させ得るか?によって、その人の度量が問われる、というような意味だろうか。

つまり、「大勢集まったときの子どもの声は確かに煩いかも知れない」「子どもたちの送り迎えの車が多くなると、交通問題など色々弊害が生じるかも知れない」そういった問題は当然予想される。だからと言って、それを回避しようと頭から反対するだけでは、今の我が国が早急に解消すべき上掲の問題解決は益々遠のくだけだ。

 

「少子化」問題を解決するためには、先ずは女性(ばかりでは無く、男性も含めて)、若い人達が働きながらでも、安心して子育てできる環境の整備が急務であることは、世の中に普通の関心と知識を有する人なら、当然理解しているはずだ。保育所の数が足りないから増設を図ろうとするのは、先ずスタート地点で、やっとその候補地が見つかり、計画を進めようとした矢先、問答無用で「反対、はんたい!」の声だけを高々と上げるだけ、というのは如何なものであろうか?

無論、行政なり、保育所を建設しようとする主体が、住民のコンセンサスを如何にして得るか、についてのアプローチの仕方を含め、事前に十分に検討、努力することが求められるのは当然だ。俗に「物は言いよう」と言われるように、説得すべき周辺住民が十分理解し、納得出来るような論拠と熱意を持って慎重に対処すべきであることは論を俟たない。

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