82歳筆者が考える、「保育園開設」への反対論...同じ「高齢者」でも、戦前生まれ・戦後生まれの感覚は違う (3/5ページ)
しかしながら、一方で「自分たちだけが他から全く干渉され無いように、と望んで守りを固め、必要なときだけ、社会に助けを求めよう」とするのは余りにも自己中では無いのか?
以下は、全く筆者の独断的感触であり、ここで客観的データを提示することは出来ないが、私はかねがね「老人あるいは高齢者」と言っても、いわゆる団塊の世代とそれ以前に生まれた世代の高齢者との間には、その考え方について大きな相違があるのでは無いか?と感じている。
ここで、その年代区分の仕方について、もう少し詳細に説明して置こう。筆者がはっきりとその境界線を引いているのは、太平洋戦争(大東亜戦争の方がより適切である、と個人的には信じているのだが...)の敗戦、昭和20年(1945年)の時点においてである。これを境にして、2016年現在で計算してみると、敗戦前に生まれた世代でも「後期高齢者」に分類されるのは昭和16-17年生まれまでゝ、同じ高齢者でも前期高齢者に分類される人々は敗戦の前後を跨いで分布することになる。
そこで、筆者はあくまで敗戦の年1945年を基準とし、大雑把にその前後で分けながら話を進めることにする。
筆者の感覚からすれば、日本で戦争が無くなってから生まれ、育った人達(いわゆる団塊の世代を含む)と筆者のように、既に戦前、戦中に生まれ、そしてその時代に育った人々とは、同じ高齢者と言っても、その生活感覚は可成り異なっている、と感じる。
いわゆる戦中生まれ、戦中育ちは好むと好まざるに拘わらず、あらゆる物資、特に食糧欠乏の体験をしているはずだ。と言っても、その程度については都会に暮らしていた人々と食糧生産地に暮らしていた人々とは微妙に異なっていたらしいが、筆者は生まれてから前期高齢者の歳に達するまで、殆ど(戦時中の一時期の疎開時代を除いて)東京に暮らしていたので、その体験に基づいて記すことにする。
兎に角、日本が昭和16年12月に戦争を始めてから緒戦の勢いはどこへやら、劣勢に転じ始めた戦中、戦後の或る時期まで食べることには大変苦労した。その体験は未だに身に染みついている。だから、どんなことがあっても食べ物を処分する際には、非常に気を使う。つまり、食べられるような物を廃棄することには大きな抵抗があるのだ。