82歳筆者が考える、「保育園開設」への反対論...同じ「高齢者」でも、戦前生まれ・戦後生まれの感覚は違う (5/5ページ)

Jタウンネット

筆者世代の立場からすれば、「幼い子どもたちの上げる声が煩く、自分たちの平安が一方的に損なわれる」「だから、反対する」という単純な感覚には違和感を感ずる。

『社会保障を支えるためには、保育園に子どもを預けて働く保護者たちの労働力が必要不可欠だということを理解すべき』週刊東洋経済2016年3/19日号「キレる老人」とある。

しかし、そんな当たり前のことを今更考えてみなくても、自分たちも、この世に生を受け、両親や近隣の大人たちに見守られながら無事に成長し、結婚し、授かった我が子をまた、大事に、しかも社会からの色々な形での助けを借りながら、また自らも働き、身分相応に社会の一員としての役割を果たしつつ、一人前に育て上げる、というような普通の人生を全うした結果、今や老境に入った人なら、少し距離を置いた位置からでも若い人達や、その幼い子どもたちのために何か出来ることがありはしないか?もし、あるなら手を差し延べ、自分たちの経験を伝えて、彼らを支える一方、自らも遅かれ、早かれ介護などで若い人達からの支援を受けるようになる筈だ、と考えるのがむしろ、当然では無いのか?

これこそが、本来あるべき「共生」の社会だし、このようにして今の社会が成り立っていかない限り、少子高齢化の進む日本の未来は無いだろう。

「幼い子どもたちの上げる声が煩い」とか「交通問題が生ずる」というような自分勝手な言い分だけで、必要な施設(ここで、詳しくは論じないが、この施設がもし高齢者介護用のものだったら、周辺の高齢者たちはどう反応するのか?訊いてみたいものだ)を設けることが出来ない、というのはどう考えてもおかしい。

元々そんな事柄は、当事者の工夫と努力で乗り越えられる程度の問題のはずだ。事に当たる関係者の問題解決に対する熱意と努力が不足している、と言わざるを得ない。

buraijoh.jpg筆者:ぶらいおん(詩人、フリーライター)東京で生まれ育ち、青壮年を通じて暮らし、前期高齢者になって、父方ルーツ、万葉集ゆかりの当地へ居を移し、今は地域社会で細(ささ)やかに活動しながら、西方浄土に日々臨む後期高齢者、現在100歳を超える母を介護中。https://twitter.com/buraijoh
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