82歳筆者が考える、「保育園開設」への反対論...同じ「高齢者」でも、戦前生まれ・戦後生まれの感覚は違う (4/5ページ)
たまたま、既に前期高齢者の年齢に達した戦後生まれの人達と会食するようなことがあって、食べ残しがあると、それが気になって仕方が無いのだが、見ていると戦後生まれの人々は簡単にそれを廃棄してしまう。
筆者には、それが我慢ならない。さすがに今は止めたが、食べ残しが出ないように、無理やりにでも片付けたことは、むしろ普通であった。もし、その時食べられなければ、全部持って帰りたいくらいなのだ。従って、スーパーの賞味期限についても、全く感覚が異なる。勿論、筆者だって、賞味期限は気にするが、かと言って、期限切れ間際、あるいは賞味期限切れであっても、直ちに廃棄するようなことはしない。無論、腐敗すれば、止むを得ない。しかし、賞味期限によって判断はせず、自分の五感(嗅覚や味覚)の方を信用する。
つまり、筆者の世代は食糧を初めとする物資の窮乏状態を体験しているので、物の値打ちを尊重し、壊れても修理しながらでも使い続けようとし、その為に忍耐する努力を惜しむことは無い。そういう経験をして来ているので、何事にも忍耐と我慢が伴うものであるということが、無意識に身についている。
と綴って来たが、無論、これはこの世代全ての人々に当て嵌まる、という訳では勿論無い。そういった傾向を有する人達が多いであろう、というに過ぎない。案外、目に触れる、この世代の老人達にも老化により分別や節度を失い、却って見苦しい振る舞いをするようになった人々が居るかも知れない。もし、そうだとしても、それはあくまで老化の故であろう、と筆者は考える。分別を失っていなかった頃は「我慢する」「耐える」という感覚を大部分の人々は有していたはずだ。そうしなければ、生き延びられない時代を経て来て居るからだ。そして、周りと協調して事に当たる、という訓練を受けて来ている。それこそ、非常時だから、そうしなければ安泰に、そして満足に生活出来なかったからだ。それに対して、敗戦後に生まれ育った、今の高齢者たちは物質的にも遥に恵まれ、それまでの時代への反動もあって、自由に、時に我侭にすら育って来た(そして、彼らの親たちもそれを知りながら、甘やかしてきた来た傾向もある)ように見える。その故か、筆者の世代からすると、彼らには「怺え性」が欠けているように思える。