つまづきを長所に変えて~『ダンボ』のたどった苦難の道(前編):高橋ヨシキ連載2 (3/7ページ)
海外の研究では『ダンボ』と、やはりサイドショーのフリークたちを描いたトッド・ブラウニング監督の異色作『フリークス(怪物團)』を関連づけて論じているものもあります。
『ダンボ』冒頭に、嵐の晩、サーカス団がテントを設営する場面があります。
このとき、働いている屈強な人夫たちは黒人です。でも、ここに人種差別を嗅ぎとるのは行き過ぎだとぼくは思っています。というか、公民権運動以前のこの時代、実際に黒人たちは多く肉体労働に従事していました(させられていた、と言ってもいいです)。なので、この場面は「時代精神としての人種差別」を反映しているかもしれませんが、ことさら有色人種を貶める意図があるとは考えられません。
逆に、後半で登場するカラスたちは、その口調、態度、服装、それに歌う曲も含め、明らかに黒人をカリカチュアライズしたものですが、最初こそ軽口を叩いてはいたものの、最終的に彼らはダンボの味方をするのですから、ここにも差別を読み取ることは困難です。いや、そうではない、その「カリカチュアライズ」そのものが問題なのだ、とする指摘があることも承知していますが、孤立無援のダンボを応援してくれる者がみな小さく、一般に嫌われる存在(ネズミ、カラス)であることを考えると、「奇形というマイノリティを助けてくれるのは、種類は違ってもやはりマイノリティーの人々である」なぜなら、彼らはマイノリティの痛みが分かるから、というふうに解釈するのが妥当ではないかと思えるのです。
先を急ぎすぎてしまいました。
テントを設営する前、サーカス列車にコウノトリが動物の赤ちゃんを運んできます。
年老いたメスのゾウのジャンボにも、少し時間はかかってしまいましたが、待ちわびた赤ちゃんが届けられました。
ダンボの母親ジャンボにはモデルがいます。19世紀にスーダンで捕獲されたオスのアフリカゾウ「ジャンボ」がそれです。実在のジャンボはパリとロンドンの動物園を経たのち、くだんの「バーナム&ベイリー・サーカス」に売却され、アメリカへとやってきました。「ジャンボジェット」など、「巨大な」という意味で「ジャンボ」という言葉を使うのはこのゾウの名前が由来です。
コウノトリは赤ちゃんを届けた控えに、ジャンボのサインを求めます。