人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第22回 (1/2ページ)
日本の政治は中央、地方を問わず、良くも悪しくも役人(官僚)の協力がなければ10センチも前へ進まないようにできている。現実である。
明治維新の太政官布告以来のわが官僚制度は、世界に冠たるものと言っていい。官僚は頭脳明晰、完璧な法律知識を持ち、幹部クラスとなれば国家経営のあらゆる歴史が頭に入っており、問題が起こったときの対応ノウハウもすべて掌握しているという優秀さである。一方で、プライドは人一倍高く、能力なしと見極めた政治家とは内心で一線を引いているのが常だ。つまり政治家側にとっては、ある意味、部下であるこの官僚をコントロールするのは至難のワザと言っていいのである。
ところが、戦後政治家の中でも田中角栄だけは“別格”だった。田中以上にそうした官僚をうまく使った政治家はいないというのが、定理になっている。歴代の大物政治家、事務次官や局長経験の官僚の多くが、まず否定しない。だからこそ、田中による前回記した戦後復興の基礎を固めた「道路三法」など33本の議員立法も、官僚の抵抗を排除して成立させることができたということになる。官僚の協力がなければ、成立などはなかったということである。
なぜ田中は、官僚使いの名手とされたのか。20数年前になるが、筆者は当時、田中の秘書だった故・早坂茂三(後に政治評論家)から、こういう言い回しで話を聞いている。
「要するに、官僚は田中の超頭脳、政治力に平伏したということだ。その上で、この男となら日本の再建のために肩を組めると認めたからだ。また、田中は一方で官僚の属性も知り尽くしていたことが大きい。彼らは優秀ではあるが、時代の変化に対応する法運用となると融通が利かない。最後の責任を負わされることも嫌う。官僚の人生観は、役所と退職後の就職先がセット、ということなども熟知していた。ために、田中は法運用の知恵を与えた上で、結果責任はすべて自分が背負ったし、退職後の就職の面倒などもよく見た。田中と官僚の稀有な連帯感が成立していたからと言っていいだろう」
官僚との関係で、田中一流の人心収攬の妙が“機能”した部分も、また見逃せない。先の「道路三法」は最終的に昭和31年3月に成立したのだが、その前年にこんなエピソードを残している。