【プロ野球】大人も子供も夢中になった! 伝説の野球ゲーム「ファミスタ」で振り返る、30年前のプロ野球 (3/3ページ)
■「ファミスタの父」がゲームに込めたメッセージ
データ容量の小ささ以上に驚かされるのは、初代ファミスタがたった4人の開発スタッフで製作された、ということ。中心になったのが当時のナムコ社員で、「ファミスタの父」といわれるプログラマーの岸本好弘さん(現・東京工科大学メディア学部准教授)だ。
岸本さんはプログラムを組むだけでなく、あの独特のドット絵のイラストも担当。また、当時、川崎球場で年間40試合はプロ野球を観戦していたという野球ファンでもあり、ゲームにおける選手の設定・データ監修も岸本さんが担っていたという。
そんな岸本さんが、この「ファミスタ」に込めたメッセージがある。ひとつは、「友だちや兄弟など、誰かと一緒に遊んでほしい」というもの。キャッチボールから始まる野球とも通じるものがある。そのため、コンピューター対戦の場合は相手(CPU)をあえて弱くして、「これじゃつまらない。誰かと遊ぼう」と思わせる工夫をしていたという。
そしてもうひとつが、「野球は球場で見るもの」という想いだ。ファミスタ独特の目線であり、後の野球ゲームに大きな影響を与えたことといえば、バックネット裏から見たゲーム画面になっていることが挙げられる。これは、当時、年間40試合を見ていた岸本さんの座っていた場所からの目線だという。岸本さんはこのバックネット裏からの野球を好み、ゲームを通じて「球場で野球を見る感覚」を味わってもらいたかった……そんな狙いがあったことを、過去のインタビューなどで語っている。
今回の「ファミスタナイター」。それは、開発者が30年前に願った夢がまさに結実した瞬間だったのかもしれない。
文=オグマナオト(おぐま・なおと)