ディズニー王国事始め~『白雪姫』がすべてを変えた(1):高橋ヨシキ連載4 (3/5ページ)
全世界の観客同様、第三帝国の総統ヒトラーも『白雪姫』に魅了されました。ヒトラーがフェイバリットとして挙げている3本の映画は『白雪姫』と『キングコング』(33年)、それに『銀嶺セレナーデ』(41年)なのですが、どれもアメリカ映画なのには苦笑させられます(当時のドイツに優れた映画がなかったわけではもちろんありません。ただ、ナチス政権が勢いを増す中で、多くの映画人が国を離れてアメリカなどへと渡ったことも事実です)。
しかし『白雪姫』は結局、ナチス時代のドイツで公開されることはありませんでした。当時の配給元RKO社がドイツから撤退したこと、アメリカとドイツの関係が悪化したことなど、いくつかの事情が重なった結果。公開することが不可能になってしまったのです。独裁者本人は海外のポップ・カルチャーに夢中だったのに、国の体制としてそういうものを国民の目に触れさせないようにしてしまう、というようないびつな構造はナチス・ドイツだけでなく、北朝鮮など多くの独裁体制下でみられるアンフェアな状況です。そして、そういう状況になってしまったからこそ、ヒトラーとゲッベルスは自国製で『白雪姫』レベルのアニメーションを! という夢を捨てきることができなかったのですが、いくら自分たちは優れた「人種」だから、なんでもうまくできるはずだ、と言い募ったところで、自由な環境で実験と試行錯誤を繰り返しながら蓄積されていったディズニーの技術力や芸術性にかなうはずもなかったのです。
未だかつてない、どこの国の人でも身近に感じる映画前置きが長くなってしまいましたが、長々とヒトラーと『白雪姫』の関連についてお話してきたのには理由があります。『白雪姫』から始まったディズニーの長編映画の歴史、その骨格を考える上で、この逸話はとても示唆的だと思えるからです。映画そのものを観てヒトラーが感じた「感激」は置いておくとしても、『白雪姫』についてのヒトラーやゲッベルスの思惑、すなわち「これは我がドイツの伝統に基づいた童話を、素晴らしい形で映像にしたものだ。ナチス・ドイツの精神、ドイツの心情を国民に浸透させるのに、これほど適したものはないのではないか?」という考えこそ、ディズニーの長編映画が世界中で愛される理由の真逆だからです。