「火葬の煙」が与える様々な印象は中世から既に存在していた (2/2ページ)

心に残る家族葬

一連の伝説によると彼は、これまた伝説の王である黄帝との戦いに敗れ、「反逆者」として処刑された。蚩尤の首と胴体は、復活を恐れた黄帝たちによって別々の場所に埋められた。

しかし、『皇覧』という書物によると、彼の首を埋めた塚から赤い霧が高く立ち昇った。旗のような形状の霧だったので、「蚩尤旗」と呼ばれた。これを蚩尤の怨念であるとして、祟りを防ぐため毎年祭祀を行うようになったという。

この蚩尤伝説は、日本でも知識人の間で早くから知られていた。ここで語られた、蚩尤の首塚から立ち昇った「蚩尤旗」のイメージが、崇徳上皇を火葬した際、平安京に向かってたなびいた煙のくだりに影響を与えている可能性も、ないとはいえない。


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