マリー・アントワネットも収容された、パリの監獄・コンシェルジュリー (2/4ページ)
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守衛(コンシェルジュ)たちは、監獄の警備、衛生、食料供給を一手に引き受けていました。食べ物は外部から調達していたとはいえ、800人にのぼる収容者たちに食べ物を分配するのは簡単な仕事ではなかったといいます。
ここは死刑執行準備室を再現したもの。

この場所で所持品の引き渡し、剃髪、シャツの襟を裂くといった死刑執行のための準備が行われたのです。死刑囚たちはいったいどのような思いでこの部屋に足を踏み入れたのでしょうか。
当時の監獄は有料だったため、経済力に応じてその待遇が異なりました。最も貧しい囚人は「わら族」と呼ばれ、わらの敷かれた雑居房で寝起きを強いられました。不衛生な環境から多くの囚人が病気になったのだとか。

ある程度お金を払えた中流層の囚人は簡素なベッドのある4~5人の雑居房に収容されました。さらにお金を払うことができた富裕層や著名人には独房が与えられ、読書や書き物をすることも許されました。

1815年には、マリー・アントワネットの独房跡にマリー・アントワネット記念礼拝堂がつくられました。