マリー・アントワネットも収容された、パリの監獄・コンシェルジュリー (1/4ページ)

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マリー・アントワネットも収容された、パリの監獄・コンシェルジュリー

世界遺産地区であるパリ発祥の地、シテ島に建つコンシェルジュリー。「コンシェルジュリー」とは、旧王宮の司令官、「守衛(コンシェルジュ)」がいた場所を指します。もともとは14世紀にフィリップ美男王が建てた王宮の一部で、3つの塔と3つの大広間からなる建物です。

外観は城のようですが、裁判所と牢獄の役割を担ってきた少々いわくつきの場所です。ここに収容され、断頭台へと臆された貴族や革命家、文学者は2600人にものぼり、フランス王妃マリー・アントワネットもそのひとり。アントワネットが幽閉生活を送った独房はコンシェルジュリー最大のみどころとなっています。

14世紀末、シャルル5世がシテ島の王宮を離れ、ここは王宮と牢獄の管理権と司法権を与えられた守衛(コンシェルジュ)によって管理されることとなりました。それに伴い、議会所、裁判所、牢獄とその役割を変えていったのです。

コンシェルジュリーは当時最も厳しい牢獄として知られていました。特にフランス革命期には反革命派が大量収容され、すし詰め状態で不衛生な環境での生活を強いられたため、「最も過酷な監獄」として恐れられていました。

館内に入ると最初に目にするのが床面積1800平方メートルの「憲兵の間」。4つの広間からなる空間で、兵士たちの食堂として使われていました。

この広間を通って、監獄があったエリアへと向かいます。

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