捲土重来、来年こそ優勝!ル・マンを戦ったトヨタ車たち【後編】 (2/4ページ)
マルコ・アピチェラ、マウロ・マルティニ、ジェフ・クロスノフという豪華な布陣で迎えた決勝、スープラGT-LMは安定した走りを見せ、総合14位、クラス8位でレースを終えます。
翌年の96年もサードが参戦し、前年日本人初の総合優勝を果たした関谷正徳選手もドライブ。しかし決勝では、残り6時間というところでポルシェ911GT1と接触し、リタイア。この年をもって、スープラでのル・マン参戦は幕を閉じました。
■プライベーターの意地。サード MC8RGTカー中心のレースとなったことで、ル・マン参戦の高い敷居は下げられ、プライベーターにも総合優勝のチャンスが見えてきました。そんな中、サードが製作したマシンがMC8Rです。ベースは2代目トヨタ・MR2。巨大な初代セルシオ用V8エンジン1UZ-FE改ツインターボを収めるためにホイールベースは伸ばされ、ライトは空力を考慮して固定式に変更。レギュレーションに合わせ、公道走行可能なロードカーも製作されました。
ル・マンには1995〜97年まで参戦。リザルト自体は奮いませんでしたが、今もトヨタモータースポーツファンの記憶に残るマシンの1台です。
■巧みなレギュレーション解釈。トヨタ GT-One TS020目まぐるしくレギュレーションが変化した、90年代ル・マン参戦車の傑作の1台といってもいいマシンがトヨタ GT-One TS020です。「TS=Toyota Sport」の名が示す通り、TS010の実質的な後継車という位置づけです。
photo by TOYOTA GAZOO RacingとはいえGTマシン隆盛の時代、このマシンもプロトタイプようなスタイルながら、ナンバー付きの市販を前提としたマシンが製作されます。当時のGTマシンのレギュレーションには、車体にトランクが備わっていなければならないという条項がありました。
もちろんTS020にもトランクルームはありましたが、実質的にはそこは燃料タンクを収めるためのスペースだったのです。規則の裏をかいたこの設計は、他チームからクレームが来るほどでしたが、無事ル・マン出場は叶いました。