捲土重来、来年こそ優勝!ル・マンを戦ったトヨタ車たち【後編】 (1/4ページ)

さて前回は、トヨタの第一期ル・マン挑戦について見ていきましたが、ここからは第二期、現在の第三期の活動をマシンとともに振り返ってみます。
プロトタイプの時代が終わり、GTマシンが台頭する90年代半ばのレースシーン。トヨタもその波から逃れることはできませんでした。そう、すべてはル・マン優勝という悲願のために。
■ラスト1時間に襲った悲劇。トヨタ 94C-V90年代のスポーツカーレースシーンは、凶暴なグループCカーを中心としたプロトタイプから市販車に近いGTカーへと変化しました。きっかけは94年、ナンバー付きの市販車を1台以上用意すればいいというレギュレーションの解釈のもと、グループCカーを改造したダウアー962LMがル・マンに参戦したのです。ここからのル・マンは、しばらくの間GTカーを中心に優勝争いが展開されます。
photo by TOYOTA GAZOO RacingこれまでのグループCカーは、出場はできるもののリストリクターによって出力が制限され、苦しい戦いが強いられることになります。しかしサードやトラストといった日本の有力プライベートチームたちは、空力を煮詰めた91C-Vの発展型である94C-VでGTマシン勢に勝負を挑んだのです。
サードのマシンはスタートから順調に周回を重ね、終盤トップを独走するもシフトリンケージのトラブルでスローダウン。3位まで順位を落としてしまいます。その後巻き返しますが、結局2位でチェッカーを受け、またしてもトヨタは惜しいところで優勝を逃してしまいます。
■新たな時代の幕開け!トヨタ スープラGT-LMル・マンがGTカーメインのレースへとシフトした1995年、トヨタはこの年もワークス参戦は見送り、前年同様サードとトラストにマシンを託します。これがスープラGT-LMです。
photo by SPEEDHUNTERSトラストは事前の国内テストでクラッシュしてル・マン出場をキャンセルしたため、本戦にはサードのマシン1台で臨みました。