【古式銃のテクノロジー・後編】重工業技術の基礎として (2/3ページ)

FUTURUS

ひとつ例を挙げれば、自転車製造大手のミヤタサイクルはもともと常陸笠間藩お抱えの鉄砲鍛冶が立ち上げたものだ。もちろん当初は銃を生産していたが、息子の代になって銃の規制法案が成立し、また同時に自転車の需要が増加した。ならば看板を換えてしまおうということで、自転車生産を始めたのだ。

鉄で銃身を作る技術は、そのまま自転車のフレーム生産に応用できる。実はこうしたことはミヤタサイクルだけの話ではなく、欧米各国を見ても銃器製造で栄えた町は自転車や二輪車の生産拠点になっている場合が多い。


■ 反射炉が世界遺産になった理由

静岡県伊豆の国市に韮山反射炉がある。去年世界文化遺産に指定されたばかりの史跡だ。

この反射炉は、ペリー提督の来航を受け急遽建設されたものである。黒船が積んでいた鉄製の大口径砲にショックを受けた江戸幕府は、ようやくながら鉄生産の重要性に気付いた。鉄の鍛造でできるのはせいぜい二百匁筒で、中には芝辻理右衛門という職人が徳川家康の命を受けて製造した一貫五百匁砲という化物も存在するが、さすがにこれは量産ができない。兵器というのは、常に量産可能であることが前提である。

いずれにせよ、鉄製の大砲を量産するとしたら鋳造技術が欠かせない。具体的に言えば、鉄に摂氏1,500℃以上の熱を与える技術である。

そのためには反射炉が必要だ。だからこそ幕府は、選りすぐりの官僚である江川英龍に反射炉の建設を命じた。江川は幕府に先行して反射炉を建設していた佐賀藩の力を借りつつ、幕命を受けてから4年ほどで韮山反射炉を完成させた。ちなみに江川は、この反射炉を見ることなく道半ばで他界している。

韮山反射炉が世界遺産に指定された時、「意外な物件が世界遺産になった」と言われていた。それ以前からどちらかといえばダークホース扱いされていた韮山反射炉だが、以上に挙げた歴史的背景と「世界唯一の現存製鉄反射炉」という点がユネスコで評価されたのだ。

種子島にやって来たポルトガル人の鉄砲は、今も我々現代日本人に多大な影響を与えている。そう、すべては「種子島」から始まったのだ。

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