【古式銃のテクノロジー・後編】重工業技術の基礎として (1/3ページ)

FUTURUS

【古式銃のテクノロジー・後編】重工業技術の基礎として

日本に伝わった鉄砲は、当地の職人たちに「鉄鍛造の限界」という課題を与えた。

日本の刀鍛冶たちは、初めて目にした火縄銃をたった1年でコピーしてしまったばかりか、ネジ製造の技術まで習得した。あとはひたすら、銃の大型化に邁進したのだ。ポルトガル人は確かに日本へ鉄砲を持ってきたが、それを巨大にする方法など教えたことはない。何しろ、ポルトガルにもそのような技術は存在しなかった。

日本の火縄銃は、今でも海外のマスケットガンナーの間で人気を博している。「射程が長く命中精度もいい」という定評がある。それはすなわち、尾栓ネジの隙間から漏れる燃焼ガスの量が極めて少ないという意味だ。発射機構の改良に重点を置いたヨーロッパの鉄砲鍛冶とは違い、日本人はこうした「表からは見えない点」にいつも注目し続けていたのである。


■ 江戸時代以降の「進化」

長く続いた戦乱期が終わり、徳川幕府の統治下による安定期が到来すると、火縄銃の生産も縮小された。

だがそれは、銃の開発を一切諦めたというわけではない。実は江戸の富裕層の間で、火縄銃射撃がブームになったことがある。この頃になると命中精度が最重要視されたため、銃は小口径化が進んだ。兵器としての使用ではないため、銃身や銃床に華美な装飾が施された銃も多い。

その頃のヨーロッパでは、先述の通り発射機構の改良を中心にした新式銃開発が行われていた。18世紀に入ると主流は火打ち石銃になっていたが、実を言うと「球形の弾丸を使った滑腔銃」という点では火縄銃とまったく変わっていない。

ヨーロッパの場合は、両軍が歩兵の密集陣形をぶつけ合うため、日本の銃ほど命中精度を求められなかった。代わりに兵士が集団の中にいても扱いやすいよう、着火媒体を火縄から火打ち石にしたのだ。

つまり銃というのは、ざっと見ても300年は基本構造が変化しなかった武器なのだ。ただその300年の間に、銃は日本人の工業技術力を大いに飛躍させた。

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