辛さや悲しさを象徴する「地獄」ーーその起源や歴史を調べてみた (2/4ページ)

心に残る家族葬

そもそも仏教で教えられてきた「地獄」とはどんな場所なのだろうか。

「地獄」とは、輪廻転生を繰り返す、魂の不滅を教えた仏教成立より前、紀元前200年以降に成立したとされる後期ブラーフマナ文献に登場する「二道説」がその源であるという。二道説とは、死後、霊となった存在が行く先が、生前の行ないの善悪によって、2つの道に分かれるという考え方である。その思想が時を経て、4世紀のインドの学者ヴァスバンドウによる『阿昆達磨倶舎論』など、仏陀死後の仏教思想と混じり、そして最終的に中国、朝鮮経由で日本に伝わった後、先に述べた末法思想、浄土思想を具体的に著した、985年(寛和元年)の源信による『往生要集』に、その様が具体的かつ精緻に記されている。

地獄は地下奥深く一千由旬(ゆじゅん。1由旬は王の軍隊の1日の行程とされ、正確な長さは不明)に位置し、縦の広さは一万由旬あるという。そこには大小136の地獄が存在し、それら全てを統括するのが閻魔大王だ。地獄の代表的なものとして、「八大熱地獄」がある。例えばそのひとつに、「等活(とうかつ)地獄」というものがある。この地獄に落とされた者は、互いに害心を抱き、同じ人間同士なのに、相見た瞬間から相手をつかみ裂く。お互いが血も肉も尽き果てるまで殺し合い、ただ骨だけが残った状態になった時、地獄の獄卒(鬼)が現れて、その骨を砂状になるまで打ち砕き続ける。それでも死に切れない亡者たちに、どこからか「活きよ、活きよ」という声が聞こえてくる。すると彼らは元の体に戻り、また最初から、つかみ合い、殺し合いを始める。それは永遠に続くという。こうしたリセットと永遠性を伴う地獄には、焼けただれた銅液を無理矢理に飲まされる「叫喚地獄」、舌や目玉を抜き取られる「大叫喚地獄」がある。

■「地獄」は悪事の歯止めとして生まれた?あるいは単なる教え?

これらの地獄がやるせないところは、ギリシャ神話のシーシュポスのエピソードを想起させるところだ。神罰により、シーシュポスは巨大な岩を山頂に運ばなければならない。しかし、山頂にたどり着いたかと思ったところで、巨大な岩は、元来た道に転がり落ちてしまう。シーシュポスはまた最初から、岩を山頂まで運ばねばならない。また山頂に着きかかったところで、岩は転がり落ちる。それは永遠に続く。

「辛さや悲しさを象徴する「地獄」ーーその起源や歴史を調べてみた」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る