辛さや悲しさを象徴する「地獄」ーーその起源や歴史を調べてみた (1/4ページ)
我々は実際に「地獄」を見たり、体験したことがないにも関わらず、辛く悲しい日々を生きていることを「生き地獄」と、そして見るも無残な大災害や事件事故を目にした折に、「地獄絵図」と言い表したり、思ったりする。我々日本人が思い浮かべてきた「地獄」とは一体何なのだろうか。今日、観光名所で名高い、富山県の「立山・アルペンルート」の立山には、「地獄」があるという。
■平安時代から富山県の立山は「地獄」とされてきた
平安末期に成立したとされる仏教説話集『今昔物語集』第14巻第7話には、「越中の國□(伏字)ノ郡ニ立山ト云フ所有リ。昔ヨリ彼ノ山ニ地獄有リト云ヒ傳ヘタリ…(略)…日本國ノ人罪ヲ造テ多ク此ノ立山ノニ堕ツト云ヘリ」という記述がある。
何故立山に地獄があるのか。それは、立山山中に今なお、強烈な硫黄の香りとともに、たぎった熱気、そして白く吹き上がる水蒸気を吐き出し続ける、通称・地獄谷と呼ばれる、およそ3kmにも及ぶ活火山が存在していること。そしてそれが、平安中期から広まった、穢れに満ちた現世に対する厭離や絶望感から、仏教の教えが廃れてしまったとする末法思想、そしてそれとは真逆の、阿弥陀仏がおわします、永遠の浄土を欣求する浄土思想の蔓延から、仏教が説く「地獄」のイメージと、立山の地獄谷の光景が一致していたことが最大の理由であろう。
そして、立山が京の都や人々の集住地域から、遠く離れた場所に位置していたことから、空恐ろしい地獄のイメージが拡大され、喧伝されるに至ったとも考えられる。また、古今東西の古代の民が有していた、山は神々の住むところであり、春になると里に神が降りて来て、人々に作物の恵みを与える。そして秋の収穫が終わると山に帰るという素朴な信仰、それと同時に、人々が住む集落から遠く離れた山には、神のみならず、穢れに満ちた死霊が集まる恐ろしい場所として、畏怖されてきたこと。更に、京の都から見て、立山が凶方位とされる鬼門(北東)に位置するためであるという説もある。
■ヨーロッパでの「地獄」とは?
今日の日本の「地獄」は、主に中世ヨーロッパのカトリック世界で描かれていた地獄絵やそのイメージと混在した格好となっていることは否めない。