人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第35回 (1/2ページ)

週刊実話

 田中角栄大蔵大臣の予算編成は何とも「積極財政」、大盤振る舞いのそれであった。蔵相1年生の昭和38年度予算編成の他省庁閣僚との復活折衝では、コワモテで鳴った時の建設大臣・河野一郎(河野洋平元衆院議長の父)との間でこんなヤリトリを展開した。河野は道路事業に110億円、同じく治山治水に45億円、下水道に10億円の復活要求で田中に迫った。腕組みして30秒、田中いわく「エー、〆て165億円。ええです、付けようじゃねェですかッ」だった。当時、「1秒当たり5億5000万円の復活折衝」として大いに話題を集めたのである。
 また、一方で所得減税か企業減税かの議論が出ている中、時に大蔵省主計局が所得減税に意欲的な発言、対して田中は企業減税を主張して次のようないささか人を食った「タマゴとニワトリ」論法を口にしたのだった。
 「タマゴをそのまま食ってしまうか、それともこれを一度かえしてニワトリとし、タマゴの拡大再生産といくか、どっちが賢いやり方かは子供だって分かる。国の経済全体を進ませなきゃならんとなれば、まずタマゴをニワトリにかえす必要がある」

 蔵相就任から2年余りのこうしたさなか、折から病と闘っていた池田勇人首相が再起はもはや無理と、昭和39年11月、内閣総辞職を決断した。池田は後継首相に佐藤栄作を指名、佐藤は官房長官を除き他の閣僚を留任させた形で第1次内閣をスタートさせた。もとより、田中も蔵相として留任した。
 すでに10月には東海道新幹線開業、同じく東京オリンピック開会と、時に戦後20年を前にしてこの国の復興ぶりは「ホップ」から「ステップ」の段階に入ろうとしていた。蔵相3期目のスタートを切ることができた田中の“意気込み”について、当時の大蔵省担当記者のこんな証言が残っている。
 「田中は大蔵大臣就任直後、蔵相秘書官をしていた秘書の早坂茂三(後に政治評論家)にこう言ったそうです。『オレは天下取りに乗り出すッ』と。新聞もおおむね、『田中蔵相はこのところ笑いが止まらない』と書いた。私らもそれまでは親しみを込めて『角さん』と呼んでいたのだが、蔵相2年目あたりからは『大臣』と呼ぶようになった。

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