参勤交代の意味とは? 意外と知らない参勤交代のルール「片道2億円」 (2/2ページ)

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Bグループは翌年また江戸に向かい、次はAグループが自国に帰ります。このように全国の藩主ごとに奇数年に江戸に行く、偶数年に江戸に行く、ということが決められていました。また、半年という短いスパンで参勤交代を課せられていた大名たちもいました。
数年おきという大名も、わずかですがいたそうです。

ちなみに江戸から自国領に戻る際は、奥さんと子供を江戸に残して帰らないといけないルールもあります。いわば「人質」のような意味合いのものだったのでしょう。

参勤交代の対象となったのは、最初は1万石以上の大名のみでした。その後1642年に改正が行われ、全大名が対象になります。ただ、災害などが原因で混乱状態の藩は参勤交代を免除されたりしたそうです。他にも、領地が小さい、または江戸から近い一部の大名や旗本は、江戸に常駐していたのだとか。

■とにかく苦労が多かった参勤交代

参勤交代の「大名行列」はものすごい人数でした。例えば、仙台藩の参勤交代を描いた絵には約1,500人もの人がいます。さらに「加賀百万石」で有名な加賀藩は2,000人という大人数だったそうです。では、どういった人が大名行列の中にいたのでしょうか?

大名以外では、大名に仕え、身を守る武士、足軽たち。他には生活道具や風呂おけなどを持つ小間使いのような人、医者や鷹匠、茶人までも一緒に行動していました。また「自国の城下町だけ派手な衣装で移動して、城下町を抜けると動きやすい地味な衣装にする」といったこともしていたそうです。

大名行列は自国領の民衆へのパフォーマンスの意味合いもありました。

これだけ大規模の移動だけに苦労することも多く、特に大名行列を取りまとめる「供家老」は苦労の連続でした。加賀藩の供家老・横山政寛が書き残した『御道中日記』には、

・洪水で街道が水没し渡れない
・宿泊予定を飛ばしたことで宿泊予定地の人間から大抗議

といった、「大名行列での苦労話」が書き記されています。

ちなみに、大名行列で江戸まで行く際の全日程の予算は、加賀藩の場合、現在のお金で約2億円も必要だったそうです。宿場町で一泊するだけでも数千万円(※諸説あります)。宿場の人も、これだけ大きな収入がなくなるとしたら抗議もやむを得ませんね。

江戸まで行き来しなくてはいけない大名も大変ですが、それを支える家来の苦労の方がもっと大変だったのかもしれません。これが一年ごと。心労がしのばれます。

『参勤交代』が登場する歴史モノのドラマや映画も、こうしたルールや背景を知ってから見ると、ちょっと違った見方ができるかもしれませんね。

(中田ボンベ@dcp)

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