巨人V逸で始動「原辰徳GM就任」という“秘策” (2/3ページ)

日刊大衆

ときに情熱的に、ときに非情にチームを率いたその采配ばかりが注目されるが、実は、監督時代から選手の補強をフロントに提言し、そのいくつかを実現させている。「原さんは、選手の能力を見極め、力を引き出すのがとにかくうまい。FAで巨人入りした小笠原道大(現・中日2軍監督)、ラミレス(現・横浜DeNA監督)らは、そこに心酔し、揃って“原監督の指導を受けたい”と言っていました。GMの仕事は、いいチーム編成をして監督に預けることですから、原さんの眼力はうってつけですよ」(全国紙巨人軍担当記者)

 しかし、実はその眼力が、原氏の監督退任の引き金になったともいわれている。「もう時効だからバラしますが、09年春、侍ジャパンの指揮官となった原前監督は、WBC決勝ラウンドが開かれているアメリカで、当時は横浜にいた内川聖一に“FA権を取得したら、うちに来てくれないか”と耳打ち。内川は小躍りして喜んだそうですよ」(前同) しかし、最終的に内川は、ソフトバンクを移籍先に選んだ。その裏には、思わぬ“横槍”があったのだ。「原監督も内川自身もその気だったのに、当時、巨人のGMだった清武英利さんが“(内川が)守るポジションがないじゃないか”と、この移籍話を潰してしまったんです」(巨人軍関係者)

 確かに、当時の巨人には、ポジションのかぶる小笠原がいた。「ですが、実はこのとき、原監督は“ガッツ(小笠原)は、そろそろ動体視力が衰えてきている”と言っていたそうです」(前同) その言葉通り、09年は打率.309に本塁打31、10年には打率.308、本塁打34と大活躍だった小笠原は、11年に入って打率.242、本塁打5と、急速に力を落としていく。「原さんの眼力の確かさが、不幸にも証明されました。その後、巨人は村田修一をDeNAから獲得しましたが、現在、内川と村田のどちらに力があるかは明白。内川が巨人に来ていれば、セ・リーグの勢力図は、今とは大きく変わっていたはずです」(前出のスポーツ紙デスク)

 また、14年シーズン中のこと。原氏は即戦力の捕手として楽天・嶋基宏のFA獲得を主張したが、フロントが「ドラフト1位で小林誠司を獲得したばかりだから」と難色を示したという。「原監督が当時の渡邉恒雄最高顧問に直訴して、ようやくフロントも動きましたが、時すでに遅し。

「巨人V逸で始動「原辰徳GM就任」という“秘策”」のページです。デイリーニュースオンラインは、スポーツなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧