83歳筆者の〈極私的鑑賞ノート〉(4)...黒木和雄「TOMORROW/明日」に、戦争の理不尽を思う (3/6ページ)
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戦時下とは言え、軍人では無い一般庶民もまた「一億一心」、「鬼畜米英撃滅」、「産業戦士」、「欲しがりません勝つまでは」等々の国家から押しつけられたスローガンの下、逼迫した情勢に揉まれながら、否応なく戦争に協力させられていたにも拘わらず、そこには一方でごく当たり前の人々の日常生活もまた、厳として存在していた。
そんな登場人物達の様々な生き様の数例を以下に挙げてみるが、実は彼ら自身の明日(八月九日)の運命を誰一人として知らない状態にある。知っているのは、映画を観ている我々観客だけ、ということになる。
彼らの日常生活が、(その中で暮らす一般庶民が、当時、自ら望んだものでは無いにせよ、戦争遂行当事者乃至協力者である、という立場を除いて)今でも我々の身の回りの何処にでも見られるような情景であり、また、そうであれば、あるほど"観客の胸にグサリと突き刺さる"ものがあり、今の時代の偽の平和や、世界の各所で今も起こっている理不尽で、暴虐な争いについて深く考えさせられることになる。
これから書く、映画の内容は筆者の記憶と、上掲書籍中の粗筋(あらすじ)の文章、それとインターネット上の『映画評論 TOMORROW/明日』というページのデータを参照しながら、筆者が取捨選択したものである。
映画の冒頭シーンは、「人間は 父や母のように 霧のごとくに 消されてしまって よいのだろうか」というメッセージから始まった、と記憶する。引き続くシーンは、長崎市内の暑い夏の情景であり、蝉の鳴き声が降るようだ。太い1本の木があり、その高い幹の上方に一人の少年がよじ登ってしがみついた状態で、どうやら身動きもままならない様子だ。下からは、仲間の少年達が心配そうにそれを見上げている。
下の少年達が「もっと左、左!」と叫んで、樹上の少年に声を掛けている。下からの声に従って、その少年は身体を移動させようとするのだが、木にべったり、しがみついたまま密着した下半身をもじもじさせている。口から出た言葉は「なんかチンチンが硬く大きくなって、動き難い。